前日・なんで…前日(9月4日)わたしは産婦人科での診察の後で実家へ寄りました。 お腹の二人目の赤ちゃんの性別が分かったので、報告もあってでした。 また、父が精神的に、板挟み状態になっていることも気になっていました。 病院近くのあるたこ焼き屋で、評判になっていた「マヨタコ」をお土産に、実家へ。 庭で伸びていた木の剪定をしていた父も「お~旨そうやのぉ」と入ってきました。 母と、父と、3人でたこ焼きをつつきながら、何のこともない話をいろいろしつつ、 「どんなんな?」 「ん~まぁ焦ったってしょうがないわ。どうすることも出来んわなぁ…」 との会話も。 この時、悩んであまり眠れないこと、ほとんど食べられないことも、全く知らず…。 そういえばマヨタコも、あまり食べていませんでしたが、暑いからか、夏バテかなぁ~ぐらいで、そんな状態だと思いもせず。 「お腹の子なぁ、男の子やって」 「お~そぉかぁ~(^^) 男の子二人やったら兄弟喧嘩も出来るし、同じ遊びが出来るし、いろいろええのぉ。」 「元気に動きょったわ」 「そぉかぁ~(^-^) 安心やのぉ」 そんな会話もしつつ、ホノボノとした時間を過ごして、私は帰りました。 その翌日、わたしは洗髪・ブローが大変な状態になってきたため、美容院で髪をカットしていました。 携帯電話が鳴りました。 1度目は、だんなだろう…またかけ直そう、と出ませんでした。 (手荷物は預けていたし) 再び携帯電話が鳴りました。 タイミングよく、カット終了後でした。 美容院の人に言って携帯電話に出させてもらいました。 だんなからでしたが、なんだかなにを言っているのか、要領を得ません。 誰かから電話があったと言っているようです。 「誰から、何言うて電話があったん?」 「実家の本家のおばさんから、実家のお父さんが倒れた言うて…」 「なんで?え?お父さんが?いつ?それで?」 そんなことを聞いたと思います。 父のいまの状態は全く分かりませんでした。 そこからしばらくは何をどう話したのかはっきり覚えていません。 ただ、救急車で運ばれたこと、どこに運ばれたのか確認を取らなくてはならないこと、弟に電話しなくてはいけないことなどが分かりました。 それから、地域消防?に電話を掛けて、実家からの救急車がどこに向かったか訪ねました。 たまたま運ばれた病院のすぐ近くの美容院だったので、だんなにも電話を掛け、病院名を告げ、わたしはすぐに向かいました。 病院では、すでに親戚が集まっていて、なんだかただならぬ雰囲気を感じました。 そのうちに、救急室から母が出て来て…。 その日は、母方の亡くなったおばあちゃんの100日でした。 母がパートを終えて帰ってきたら、一緒に母の実家に参りに行こう…と約束していたそうです。 それで母はいつもより30分ほど早く仕事を終えて帰ってきたそうです。 帰ってきて、家の下の坂道を上がった所に、父が倒れていたそうです。 それで救急車を呼び病院へ──。 現在、意識はなく、この後もどうなるのか分からない…という状態でした。 たまたま居合わせた、週に一度来ている、評判の腕の良い先生が手術をしてくださるとのこと。 あと15分遅かったら帰っていただろうとのこと。 すごいタイミングいい!! かなり危ない場所の脳血管が裂けたようで、脳の大事な部分に血液があふれ、脳を押しつぶしている状態だと言われました。 とにかく一刻も早くこれを取り除き、出血部分を見付け、出血を止めなくてはならない、とのこと。 あとから聞くと、あと少し遅かったら、意識の回復はダメだっただろうと言われました。 瞳孔もほとんど開いていたそうです。 いまさらながら、ゾッとします。 良いタイミングで運ばれました。 もう少し遅かったら…要するに、植物人間です。 手術をすぐに開始していただき、5時間ほどで全てとはいかないまでも、血の塊はほぼ取れたようです。 ただ、脳の中でも一番大事な脳幹部分がかなりヤラレているので、この後の回復は…と伯父は言われていたようです。 術後、目の前を頭に包帯ぐるぐる巻きで病室に運ばれていく、眠っているような父を見ながら、どことなく、現実感はなく、父であって父でないような感じでいました。 この後どうなるのか、どうすればいいのか見当もつかず…。 ただ、わたしは、その時妊娠中。7ヶ月ぐらいだったと思います。 安定期で良かったです。 赤ちゃんや母胎にもしもの事があったら…ということで、わたしだけとにかく家に帰り、連絡待ちとなりました。 現実感のなさからか、妙に落ち着いて冷静な自分がいました。 いま思うと、漠然と、大丈夫だと思っていたのかもしれません。 そういう気持ちだったような気もします。 自宅に帰り、ウトウトでしたが眠れたのですから。 ジャンル別一覧
人気のクチコミテーマ
|